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Art 10

Gustav Moreau

モロー 死せる詩人を運ぶケンタウロス

04/10renew

この絵がとても好きなのだけれども、(もったいなくて)あまり見せたくないのでごく小さな画像だけ載せました〜。

三島由紀夫が著書で触れ、中井英夫も再三この絵について言及しているように、なぜか文学者がこの絵を好むようだ。

とくに私は「蘇るオルフェウス」という中井英夫の小説がとても思い出深い。

この「ケンタウロス」が作品の重要なモチーフとして登場しているのだけれども、私が始めて読んだ中井英夫であり、彼の幻想的な作品群のとりこになったその因となった小説だったからだ。

小説の題からも分かるとおり、ケンタウロスに運ばれている死せる詩人とはオルフェウスのことであり、その女と見まごう白い身体はなにやら妙になまめかしくて、どきどきする。

これをしもアンドロギュヌス(両性具有)というのだろうか。

 


サロメの中で私がもっとも好きなもの

モローはサロメの画家として有名だ。

サロメというキャラクターは、ファム・ファタル(宿命の女)として世紀末を席巻した、魔性の女の代名詞となった女性像である。
覚えているだけでリヒャルト・シュトラウス、オスカー・ワイルド、フランツ・フォン・シュトゥック、ビアズレイなどがサロメを取り上げた。その、原型を作ったのがモローだった。

ルネサンス絵画にも、サロメの図像はユディットなどと同じテーマとして取り上げられたこともある。
姦計によって、男の首を取り上げる残酷な女、としての官能的な女性像だ。
クリムトは、ユディットを画題にしている。

世紀末に再びサロメ=ユディットのテーマが浮上したのは、その世紀末という時代のゆえだったのだろうか。

聖書のサロメは、姦女という感じではない。罪深き女というほどのキャラクターを与えられてはいない。ただ母ヘロデアの言うとおりにした、というくらいの扱いにしか過ぎない。
モローは、この性格付けの薄かったサロメを、ルネサンスの図像を借りながら、自分の、独自の女性像を完成させた。

それは、ファム・ファタル、男を追い詰め、誘惑し、惑わし、堕落させる魔性の女である。

なぜ女性をそのようなマイナス要素として描いたのか、それは、ひとつの研究テーマとなるくらいのことだから、こんなところで簡単に結論付けられないだろう。

 

ただモローの描く男性像は、女性像とはまったく逆に、弱き善の象徴である。

彼の描く男性はオルフェウスだけでなく、一様になよなよしていて、妙になまめかしく、中性的である。

左はキリストのようで間違いそうだけれども、「聖セバスティアヌス」、右の素描はタイトルを忘れたが、旅の若者とか何とかいうのだったと思う。

彼らは一様に無力で、なすすべもなく疲れ、破れ、滅びてゆく。

男と女、モローの中ではそのふたつは単にシンボルであって、さしたる意味はなかったのかもしれない、とさえ今は思うようにもなった。
少なくとも、区別はなかったのだろう、と。

ただ描きたいものだけを具象化したら、あり得ぬ夢の世界と、官能の世界を展開することになっただけのことかもしれない、と。

モローの生きた時代は、モネや、その他の印象派と同じ時代。活躍した時期は完全に重なる。にもかかわらず、モローが一人世紀末、といわれる所以である。

 

もっと素敵な絵がいろいろあるけれど、もったいないので、これだけ。

これは「オルフェウスの首を持つトラキアの娘」

 

モローはオルフェウスを、いろいろなパターンで多く描いた。
もうひとつだけ、有名な作品を。

「オイディプスとスフィンクス」

異形の動物のエロティシズムが目を引く。そして、男と女の視線の対決。

Art 10

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